2023 MIKUSA BAND 東京公演 挨拶文

2023 MIKUSA BAND 東京公演 挨拶文

ご挨拶(「MIKUSA PROJECT」についての書き散らし)     2023.3.18  佐藤公哉

2020年頃より、各地での郷土芸能や伝承歌の取材を元にしたクリエイション活動に「MIKUSA PROJECT」と名付け、継続しています。
2015年の「大地の芸術祭」で新潟県十日町市に滞在した経験、2017年に東京から長野県松本市の旧四賀村に移住したこと、そして2019年に「三陸国際芸術祭」のAIR&芸能短期留学で岩手県大船渡市に滞在した経験が、このプロジェクトを進める大きなきっかけとなっており、またこの活動は一つのライフワークとして継続していくつもりです。2021年より、長野県の郷土芸能の取材も始めています。

僕は幼少より画家を目指していましたが、より体を使った表現を求めたこともあり、東京藝術大学で当時スタートしたばかりの実験的な面が強い学科・音楽環境創造科に入学。インスタレーション制作、パフォーマンス、作曲、演奏、映像制作、音響エンジニアリング、批評などを学びながら、徐々に音楽の道を志すようになりました。ただ、当時から一つ引っ掛かりがあった気がするのは、「色んな音楽が好きだが、既存のやりたい音楽スタイルというのは特にない」ということでした。
在学時より発足したバンド「表現(Hyogen)」では、スタジオに集まったメンバーで特に何の決め事もない即興セッションを延々と続け、その中で出てきた要素を素材として組み立てていく、という手法で多くの楽曲を制作しました。ジャンルも存在せず、リズムのアプローチも楽曲にって様々でした。その音楽性のユニークさやバンドとしてのマジックは理解しつつも、同時に「芯となるスタイル」を求める気持ちも持っていました。

世界には様々な音楽があり日々そのスタイルを変化させていますが、その変化の流れにもスタンダードがあると思っています。土地の風土があり、言語があり、宗教があり、歴史があり、それらと一体となった民族音楽がある。その民族音楽の素養を共有する文化圏には個性的なリズム感覚などがあり、その素地の上に外来の流行や新たなイノベーションが展開していく。というものです。いちリスナーとして、世界の様々な地域で根となる素養を十分に持ちながら発展を試む音楽(Tigran Hamasyan、Weedie Braimah、Aca Seca Torio、Marja Mortensson、ÌFÉ、Carmen Souza…)を聴きながら、自分もこういったことがやりたいという思いを強めて行きました。

ただ、日本に生まれ育った僕に、そのスタンダードな道を歩む素地があるとはあまり思えませんでした。その大きな要因としては、音楽教育や文化の広まりにおける、明治維新と敗戦後のアメリカ統治を契機とした2度の断絶があると思ってます。

想像に過ぎませんが、ブラジルに生まれていたら先ずサンバやボサノヴァから、ニューヨークに生まれていたらジャズやヒップホップから、ジャマイカに生まれていたらレゲエから始めて、それからその先を考えていたんじゃないかと思います。

しかし、僕が日本で育つ中自然と触れて来た音楽には、そのリズムや音楽スタイルに身体性のルーツや帰属意識を感じられるものが見つけられなかったのです。
これまで自分が音楽を作るに際しては、何かを土台に積み上げるということの特にないまま、あちこちで様々な実験を繰り返し今に至ります。前述のバンド・表現(Hyogen)の創作もその一つで、正に文字通りの「手探り」でした。

「大地の芸術祭」の滞在制作の企画に参加中、新潟県十日町市で宴席などで歌われる祝い歌「天神ばやし」を地元の方々との席で聴いた時、音への感動とともに、コミュニティでの受け継がれ方にも感動を覚えました。民謡などは「音楽」として耳にしていましたが、地元で一般の方々に歌い継がれ、祝い事のために歌われるそれは「音楽」の美学とは全く違う強度を纏って響いて来ました。幼少から祖母がよく歌っていたために耳馴染んていた、詩吟や御詠歌の記憶と繋がるところもあったかもしれません。その衝撃が「MIKUSA PROJECT」の一つの大きなきっかけとなりました。ここから、土地の風土や、共有されて来た身体感覚と共にある「音楽の根の部分」を探すことを強く意識し始めます。

伝承歌や郷土芸能の取材を積極的に行うことを決め、次に大きな機会となったのは岩手県大船渡市での滞在でした。三陸国際芸術祭のレジデンス・アーティストとしての滞在でしたが、「芸能短期留学」という企画も兼ねたこの滞在中には「金津流浦浜獅子踊」「石橋鎧剣舞」などの郷土芸能の稽古を受けることが出来ました。

ボサノヴァやレゲエを好例とする、現代の新たなポピュラーミュージック。その種を日本、東アジアから探している僕がこの時求めていたのは、正に踊りを伴ったリズムの習得であったため、この滞在は本当に願ってもいない素晴らしい経験となりました。

特に「ザコンコ」と呼ばれる金津流獅子踊の基本ステップには大きな可能性を感じ、そのステップと太鼓のリズムを応用するべく、ドラマーの荒井康太くんと様々な試行錯誤を繰り返しました。現在そのリズムを元に2曲、また同じ稽古の中で教わったリズムからも1曲をレパートリーとしています。

拠点としている長野県でも、信州アーツカウンシルのサポートを得ながら郷土芸能の取材をしていますが、取材を進めれば進めるほど、その世界の途方もない奥深さに気づかされます。

僕が求めている「ポピュラーミュージックに身体的なルーツを再接続すること」と、「そこから自由な発展を進めること」は一人でできることでも、恐らく一世代で出来ることでもありません。本日演奏します「KIMIYA SATO MIKUSA BAND」では、本当に素晴らしいミュージシャンと共にリズムやアレンジの実験をしながら創作を進めており、また機会がある毎にミュージシャン、ダンサーなどのゲストを招きながら活動しています。

風土と結びついたリズムのポピュラーミュージックに、僕が触れられずに育ったということは、この国の文化土壌の一つの歪みの現れだと思っています。それはまた種々の社会問題とも無関係ではないはずです。

その歪みの中で、特にウルトラCを期待することなく、一つ一つの出会いを大切にしながら地道に試行錯誤する、というのが「MIKUSA PROJECT」のやりです。

そしてそれを進めていくにはさらにもっと多くの仲間が必要だと思っています。

少し足を伸ばせば、郷土芸能、伝承歌や素晴らしい神事が各地で続いており、アーティストにもその他の生業の方にも様々なインスピレーションを与えてくれます。取材に出かけずとも、自身の身体と文化の関係を再考することで変わってくることもあるはずです。

ライブ中のMCを省いて沢山演奏したいという思いもあり文章をしたためましたが、「MIKUSA PROJECT」のパフォーマンスに触れてくれた皆さんが、この企画や、各地の郷土芸能に興味を持ち続け、関わり続けてくださることを願っています。本日はご来場誠にありがとうございます。

*「MIKUSA」は「民草」を意味する「草」に尊敬語の「御」をつけた「御草」という言葉を耳したことから名付けました。